既婚者子持ち(確定)がDP十段を目指すブログ。
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クオンタム・テレポーテーション
なかなか3回/週のペースを守るのは難しい。
■喋れない、何かの間違いではないのか
何度も言いますけど、歯医者に通っています。
「痛かったら手をあげてくださいね~」と言われ、特に痛くないので手はあげないのですが、そうすると「大丈夫ですか、痛くないですか」と確認されます。これが困ります。
歯医者にいるので、当然、口腔内を治療されています。唾液も咽喉に溜まります。そうすると、声も自由自在に出せないので、「はい」と返事をしたくても、「へー」みたいな間抜けな声しか出ません(普段から「あー」だの「うー」だの、良く分からない擬音を頻繁に発しているではないか、という指摘は謹んで拝聴致します)。
歯医者「大丈夫ですか、痛くないですか」
エンド「へー(大丈夫です、の意)」
歯医者「あ、ごめんなさい、今のは痛かったですか」
エンド「へー(だから大丈夫です、の意。首も当然振れない)」
歯医者「あ、冷房効きすぎてないですか」
エンド「へー(大丈夫です、むしろ暑いです、の意。無い袖も振れない)」
歯医者「まぁ、こんなところに座らされて、意味のわからないことされてるわけだし、むしろ汗かいちゃうかな」
エンド「へー(いいから早く治療しろ、の意)」
フェルディナン・ド・ソシュールが指摘したのはこういうことかな、と。
参考:wikipedia「言語論的展開」
■ありえない、何かの間違いではないのか
ジョージ・ジョンソン(水谷淳訳)『量子コンピュータとは何か』を読了しました。以下は感想。
■喋れない、何かの間違いではないのか
何度も言いますけど、歯医者に通っています。
「痛かったら手をあげてくださいね~」と言われ、特に痛くないので手はあげないのですが、そうすると「大丈夫ですか、痛くないですか」と確認されます。これが困ります。
歯医者にいるので、当然、口腔内を治療されています。唾液も咽喉に溜まります。そうすると、声も自由自在に出せないので、「はい」と返事をしたくても、「へー」みたいな間抜けな声しか出ません(普段から「あー」だの「うー」だの、良く分からない擬音を頻繁に発しているではないか、という指摘は謹んで拝聴致します)。
歯医者「大丈夫ですか、痛くないですか」
エンド「へー(大丈夫です、の意)」
歯医者「あ、ごめんなさい、今のは痛かったですか」
エンド「へー(だから大丈夫です、の意。首も当然振れない)」
歯医者「あ、冷房効きすぎてないですか」
エンド「へー(大丈夫です、むしろ暑いです、の意。無い袖も振れない)」
歯医者「まぁ、こんなところに座らされて、意味のわからないことされてるわけだし、むしろ汗かいちゃうかな」
エンド「へー(いいから早く治療しろ、の意)」
フェルディナン・ド・ソシュールが指摘したのはこういうことかな、と。
参考:wikipedia「言語論的展開」
■ありえない、何かの間違いではないのか
ジョージ・ジョンソン(水谷淳訳)『量子コンピュータとは何か』を読了しました。以下は感想。
ニコニコ動画で「グラディウス5」の動画を観ていたら、当然のようにやりたくなり(単純)、こそこそとプレイしているのですが、これがなかなか難しい。
グラディウスはいわゆる横シューティング(画面が横に強制スクロールする。たまに上下にもする)。そして、シューティングというジャンルのゲームには往々にして言えることですが、傍からだと簡単そうに見える。人がプレイしているのを観ていると、「あ、動いて動いて、あ、あ、弾が、弾が来てるから、違う、そこは下をくぐって、違う、ダッカーが厳しいからフォースフィールドを優先してさぁ、あーあーダメだよそれじゃ」みたいな感じで、物凄く口を挟みたくなる。もちろん、実際にプレイしてみると、そう簡単には行かないわけです(5面から先へ進めません)。ちなみに、某音楽に合わせて鍵盤(を摸したボタン)を叩くゲームにも同じ事が言えます。
このように、簡単に見えるけども、実行してみるとその難しさが分かる、という事柄は多くあると思います。そういう意味では、やはり、一見して簡単なことや、自分には簡単に出来ることが、誰にでも同じように出来ると思ってはいけない(逆もまた真)のだな、と(もちろん、事柄によって変わりますが)。これはなかなか意識するのが難しいです。忘れがち。
ところで、このブログもパソコン(SONYのVAIO)を使用して書いていますが(携帯から書いたことはありません)、パソコンってホントに便利です(今更)。パソコンにとっての「簡単に見えるけども実は難しい事柄」とは何でしょう。その最たるものが、『量子コンピュータとは何か』の中でも、象徴的な命題として何度も現れます。それは因数分解。
何故、因数分解がそこまで困難なのか、そして量子コンピュータが開発されれば因数分解を攻略できるのか。『量子コンピュータとは何か』では、その他の例も含め、コンピュータの原理と限界、そしてその限界を軽々と打ち破る(であろう)量子コンピュータの原理・展望が、非常に分かりやすく、かつドラマティックに描かれています。
著者であるジョージ・ジョンソンも述べている通り、その原理の根本となる量子論については、常人にはなかなか理解が難しい(何せ、そのあまりの不可解さに、かのアルバート・アインシュタインが躍起になって否定しようとしたくらいだもの)。ただ、この本を読めば、簡単な原理と、その可能性は十分に理解できます。この数十年、コンピュータはあり得ない速度で小型化、低価格化しましたが、もし量子コンピュータが実用化されれば、その進化すら霞んでしまう。それくらいの、可能性という言葉では表現できないくらいの、圧倒的可能性を量子コンピュータは秘めているわけです。テクノロジー万歳。
というわけで、非常に良い本でした。何が凄いって、量子論という傍から見れば全く意味不明な概念を、その想像力と論理構築によって自らのもの(学問)とし、テクノロジーの発展に寄与させる段階まで持ってきた、世界中の科学者達(数学者、物理学者etc...)が凄い。科学ノンフィクションを読む楽しみの一つは、バックグラウンドが異なる様々な科学者達が、世代を超えて謎めいた存在に挑み、そして打破していく、その過程を垣間見れる、という点にあります。そういう意味で、良い物語を読みました。下手なフィクションを簡単に凌駕するくらいのね。
グラディウスはいわゆる横シューティング(画面が横に強制スクロールする。たまに上下にもする)。そして、シューティングというジャンルのゲームには往々にして言えることですが、傍からだと簡単そうに見える。人がプレイしているのを観ていると、「あ、動いて動いて、あ、あ、弾が、弾が来てるから、違う、そこは下をくぐって、違う、ダッカーが厳しいからフォースフィールドを優先してさぁ、あーあーダメだよそれじゃ」みたいな感じで、物凄く口を挟みたくなる。もちろん、実際にプレイしてみると、そう簡単には行かないわけです(5面から先へ進めません)。ちなみに、某音楽に合わせて鍵盤(を摸したボタン)を叩くゲームにも同じ事が言えます。
このように、簡単に見えるけども、実行してみるとその難しさが分かる、という事柄は多くあると思います。そういう意味では、やはり、一見して簡単なことや、自分には簡単に出来ることが、誰にでも同じように出来ると思ってはいけない(逆もまた真)のだな、と(もちろん、事柄によって変わりますが)。これはなかなか意識するのが難しいです。忘れがち。
ところで、このブログもパソコン(SONYのVAIO)を使用して書いていますが(携帯から書いたことはありません)、パソコンってホントに便利です(今更)。パソコンにとっての「簡単に見えるけども実は難しい事柄」とは何でしょう。その最たるものが、『量子コンピュータとは何か』の中でも、象徴的な命題として何度も現れます。それは因数分解。
何故、因数分解がそこまで困難なのか、そして量子コンピュータが開発されれば因数分解を攻略できるのか。『量子コンピュータとは何か』では、その他の例も含め、コンピュータの原理と限界、そしてその限界を軽々と打ち破る(であろう)量子コンピュータの原理・展望が、非常に分かりやすく、かつドラマティックに描かれています。
著者であるジョージ・ジョンソンも述べている通り、その原理の根本となる量子論については、常人にはなかなか理解が難しい(何せ、そのあまりの不可解さに、かのアルバート・アインシュタインが躍起になって否定しようとしたくらいだもの)。ただ、この本を読めば、簡単な原理と、その可能性は十分に理解できます。この数十年、コンピュータはあり得ない速度で小型化、低価格化しましたが、もし量子コンピュータが実用化されれば、その進化すら霞んでしまう。それくらいの、可能性という言葉では表現できないくらいの、圧倒的可能性を量子コンピュータは秘めているわけです。テクノロジー万歳。
というわけで、非常に良い本でした。何が凄いって、量子論という傍から見れば全く意味不明な概念を、その想像力と論理構築によって自らのもの(学問)とし、テクノロジーの発展に寄与させる段階まで持ってきた、世界中の科学者達(数学者、物理学者etc...)が凄い。科学ノンフィクションを読む楽しみの一つは、バックグラウンドが異なる様々な科学者達が、世代を超えて謎めいた存在に挑み、そして打破していく、その過程を垣間見れる、という点にあります。そういう意味で、良い物語を読みました。下手なフィクションを簡単に凌駕するくらいのね。
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量子コンピュータ?の実用化された社会をこの目で見てみたい!
どちらかと言えば、旦那様の領域な気もしますね。